いよいよ83年になって。
1983年1月4日火曜

吉祥寺
小原宏裕『OH! タカラズカ』
年明けは、美保純サマで。というわけでもなかったけれど。
とにかく日活ロマンポルノ封切りを全制覇することに。
この日は他に、『赤いスキャンダル
情事』『女子大生の下半身 なーんも知らん親』
スティーヴン・スピルバーグ『E.T.』
吉祥寺
1月8日土曜
深作欣二『蒲田行進曲』、増村保造『この子の七つのお祝いに』
テアトル新宿
どちらも原作つき。つかへいの映画版はそうでもなかったけれど、『この子の〜』の後味があまりにも悪かったので、たまらず手近のオールナイト小屋に飛びこんだ。
ヒデェ映画はもっとヒドそうな映画でもって癒すしかない。マルサスの法則。
夜の放浪者が次第に立ち現われてくる。何かが耳元で囁く。
その時は気づきもしなかったこと……。
番組は――。
『痴漢電車
ルミ子のお尻』『痴漢電車 よいOL悪いOL普通のOL』『日本痴漢大作戦』『ザ痴漢・ほとんどビョーキ』

ご機嫌のロード・ムーヴィーだ
1983年1月22日土曜
ロバート・アルドリッチ『カリフォルニア・ドールス』
三鷹オスカー
大いに満足。★五つ分だね。
女子プロに興味がなくても大丈夫だった。ピーター・フォークのマネージャーがはまり役。
アルドリッチはこれが最後の監督作となった。高校生の時分観た大傑作『ヴェラクルス』がその第一作だったことを想えば、何というか感慨も深い。その間を熱心に追いかけたわけではないし、当たりもあり外れもありの並みのイメージだったけれど、全作の半分は観ている勘定だ。
併映はフランシス・コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』。いささかキモかった。
1983年2月12日土曜
崔洋一『十階のモスキート』 竹橋 科学技術館サイエンスホール
PIA CINEMA
BOUTIQUE ニューディレクターズ特集
カリスマ崔のデビュー作。現職の不良サツ官による強盗事件をあつかっているのはケシカラン、ということでお蔵入りになりかけた。公開予定未定のプレミア上映だった。
『水のないプール』では、風呂の中のスカシッ屁みたいに不完全燃焼だった内田裕也の仏頂面が今回は全面爆裂。
ただし、強盗に決起するまでの、博打やコンピュータ・ゲームにはまるおちこぼれ警官のいじましい日常が冴えている。
崔監督とは数ヵ月後、『日本読書新聞』の対談で会うことになった。媒体の党派性もあって、最初は警戒されたのか、目つきも愛想もずいぶんと硬かった。映画の公開日時はようやく決まっていた。
ゴールデン街の某店の二階でビールを飲みながら、ぐっちゃらぐっちゃらと喋った。対談記事は、「一コマのメッセージ」として83年7月18日号に掲載された。
梁石日『タクシー・ドライバー(狂躁曲)』映画化の想いも、このとき聞いた。原作者の人間的魅力について「あのオッサンは……」と崔さんが言いかけたところで二人とも思わず笑ってしまった。雰囲気的にはそれで充分だったが、記事を読んだ人はわかりにくかったかもしれない。
なおこの映画化が『月はどっちに出ている』として実現したのは十年後。
話は一回りして、そろそろお開きというところ、えらく背の高い男がヌッと入ってきて「松田です」と自己紹介した。なるほど、ついこないだ『家族ゲーム』で新境地を見せてくれたスタアのシャイな素顔がそこにあった。
1983年2月18日金曜
マルガレーテ・フォン・トロッタ『鉛の時代』
渋谷ユーロスペース
世代から世代をつなぐ「女の映画」だ。
70年代なかばの、過激派バーダー・マインホフ・グルッペのメンバーの獄中死。彼らのテロリズム理念を唾棄するにしろ黙殺するにしろ、後からくる世代に彼らの行動の全的な意味を語り伝えねばならないというこの映画の重たいメッセージを否定し去ることは正しくない。
そうしたことは三冊目の著書『亡命者帰らず』の後半に固め書きした。繰り返さないし、繰り返せることでもない。
とにかく「子供たちを救え」というテーマはわたしのうちにずっと旋廻して、旋廻しつづけて止まなかった。テーマを発信してくる端緒となった第一の映画が『鉛の時代』だった。
これらの主張の有効性がたとえごく過渡的にかぎられていたものだったにしても。
1983年2月19日土曜
ミロシュ・フォアマン『ラグタイム』
新宿
当然のことながら、『カッコーの巣の上で』の作者による歴史ドラマということで観に行った。
しかし決して期待はずれではないのだが、何というか、戸惑い半分で観終わる。
エリザベス・マクガヴァンはいい女優なんだけれど……。主役を張るにはチョット弱くて。 年月が経ってしまうと、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の役柄と印象がごっちゃになって困る。
脇役ばかりで構成するエピソード主体のフィルムと割り切って観るべき「小品」。
ヴェンダースは『さすらい』と『まわり道』は観ていたけれど、『ことの次第』の「芸術映画」ぶりには、いささか戸惑った。いや、気取ってつくられたB級ノワール志向なんだから。
映画をつくることについての痛みにみちた内省的ドラマ。
映画史からの引用にあふれたペダンティックな作品だけれども、自家中毒の不健康さからは免れている。奥行きの豊かさは救いだ。
じつは、ジョン・フォードの『捜索者』と何かのSF映画のパロディでもある。
コッポラ・ギャングの『地獄の黙示録』は山ほどのインサイド・ストーリーを派生させたが、この映画のテーマもその一つ。ヴェンダースは個人的な災難を黙示録的高みまで引き上げた。
あとにコッポラ製作・ヴェンダース監督『ハメット』を観、さらにその製作秘話を知るにおよんで、さらに深く納得した。
1983年4月14日木曜
フランク・ピアスン『キング・オブ・ジプシー』
今村昌平『楢山節考』 銀座
試写会で二本、立て続けに。
合間の時間に、小川徹『映画芸術』編集長に会った。病後の見る影もなくやつれた様子に驚きを隠せず。
夜、渋谷にまわって、ドイツ映画祭。ヴェルナー・シュレーター監督、キャロル・ブーケ主演のドグラマグラ映画
『愚か者の日』。へろへろのよれよれ状態で帰宅。
1983年4月29日金曜
大島渚『アジアの曙』
千石 三百人劇場
山中峯太郎原作『亜細亜の曙』の連続テレビドラマ化。革命的浪漫主義スペクタクル歴史絵巻、になるはずだった。
全13話、12時間一挙上映である。
まことにナントカ誕生日を祝うにふさわしい一日であった。
腰が痛い、尻が痛い、眼がしょぼしょぼする……。ンなことは関係ない。
朝の10時に始まって。途中の休憩三回。終わったのが夜の10時。
いやいや、ご苦労さんでした。
1983年5月23日月曜
ヴェルナー・ヘルツォーク『アギーレ・神の怒り』
新宿
ヘルツォークとクラウス・キンスキーのコンビはこれが最初。『フィッツカラルド』をすでに観ていたので、びっくり度もいくらか緩和されたようだが。
あとに『ノスフェラトゥ』『コブラ・ヴェルデ』と続くけれど、なんといってもこの衝撃がダントツであった。
マカロニ・ウェスタンの悪役だとしか思っていなかったクラ・キンが狂気の征服王を演じきってしまうのだ。『夕陽のガンマン』のクリント・イーストウッドは、この人の顔を壁がわりにしてマッチをすって煙草に火を点ける。印象といえばそれしかなかった怪優がヘルツォーク映画の世界では唯一無二のヒーローだった。
1983年5月28日土曜
テレンス・マリック『天国の日々』
大島渚『戦場のメリークリスマス』
ミラノ座で『戦・メリ』を観て、それからシネマスクエアとうきゅうの『天国』へ。劇場がこの逆だったら絶対に行かなかったろうな。
シネスクではずいぶん観たけれど、ここでしかやっていない映画だから仕方なく行ったのがほとんど。何が嫌いかっていうと……。まあ、いいか。『天国』のサム・シェパードは印象的だった。
歌舞伎町のコマ劇場西の一角は、今風のシネコンの発祥みたいなものだ。広場にはまだヒッピーがたむろしていたし、それぞれの小屋の名にも味があった。
1983年5月29日日曜

ソビエト・シネマ・フェスティバル 民族共和国からの映像 10ヶ国20作品マラソン上映
青山 草月ホール
一日目は四本。
ペルロシア
『スタフ王の野蛮な狩り』ワレーリー・ルビンチク
グルジア
『ピロスマニ』ゲオルギー・シェンゲラーヤ
ウクライナ
『大地』アレクサンドル・ドヴジェンコ
アルメニア
『猟人日記「狼」』ロマン・バラヤン
ホール上映なので、上映環境はかなり………。とくにスクリーンがね。
ともかく、他の日もふくめて、10本は観た。衝撃の作品もあり、収穫は上々である。
1983年6月27日月曜
若松孝二『餌食』 恵比寿 エビス地球座
観そこねていた作品をようやく。79年の製作だ。
若松映画は
『13人連続暴行魔』で70年代の頂点をつくった。これには曲馬館の役者が大挙して(?)出演している。
その後に、続編というふれこみの『残忍連続強姦魔』、『餌食』、梅川事件をもとにした『現代性犯罪 暴行監禁』とつづいて、どれも観逃していた。
『餌食』はレゲエをバックに使ったクライム・アクション。シャブ漬けにされた恋人への復讐というヤクザ映画パターンのわかりやすさ。これがブルースになっているのは、裕也の個性だろう。ロックをやらしたらあんなにヘボの(たんに下手というレベルですらない)ロックンローラーがバケてしまった。
最後の、ビル屋上からバンバンと歩行者天国の通行人を撃ち殺すシーンがいい。といって予算に相応して大迫力とはいかなかったけれど。
1983年6月30日木曜
ハル・アシュビー『ザ・ローリングストーンズ』
ストーンズは『ギミー・シェルター』のようなスキャンダラスなドキュメントがよく似合う。
ただただコンサートの記録にだけ捧げられたフィルムを望んだのに。
作り手の解釈なんていらねえんだよ。それも自分だけが正義で正しいとのたまわるだけの「教育的メッセージ」なんか。
アシュビーは『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』みたいな良心的左翼映画がせいぜいのところ。ストーンズを私物化したアホ映画は恥だよな。